チェンジメーカーストーリー

「助けてほしいと思ってしまうオレはどこか狂っている?」 ひとりの父親が父子家庭の支援にたちあがった理由

「チェンジメーカーストーリー」は、Change.orgのキャンペーンを立ち上げた人たちに話をうかがい、想いや戦略を紹介してもらう企画です。

今回は、10年前にたった一人で立ち上がった全国父子家庭支援ネットワーク代表理事の村上吉宣さんに語っていただきました。村上さんは平成22年に、それまでは母子家庭にしか支給されなかった児童扶養手当を父子家庭にも支給できるよう政府に働きかけ、それを実現させた立役者のひとりです。

村上さんの現在たちあげているキャンペーンはこちら:2014年4月以前に妻を亡くし遺族年金の対象とならない父子家庭の父と子を救いたい!特例法にて救済を求めます!

 

■「それは、だれも声をあげてこなかったからだよ」

家族と団欒する村上さん(写真左)

ー 村上さんが10年前に声をあげ始めたきっかけを教えてください

うちは子どもが二人いる父子家庭なのですが、上の子が幼くして白血病になって、病院に付き添いが必要になったんです。僕は基本的に仕事人間。男は仕事してナンボだと思っていたのに、それができなくなりました。生活保護を頼っても、父子家庭の事情は理解されにくく、病院で「お父さんもお子さんと一緒に頑張っていますね!」なんて励まされても落ち込んでしまう日々です。福祉制度を頼らざるを得ない一方で、だれかに助けてほしいと思ってしまうオレはどこか狂っているんじゃないかって思っていました。子どもが休み休み学校に行けるようになっても、子どもに合わせられる仕事が無い。コールセンターは女性だけで、ヤクルトレディはあっても「ヤクルトマン」はありませんでした。

そんな中「自分はおかしいんですかね」「男として間違ってますかね」と大学の先生や母子家庭支援をしている人に尋ねると、みんな口々に「間違っていません」と言ってくれたんです。「おかしくないなら、どうしてこんなに大変なんですか」と尋ねると「それは、だれも声をあげてこなかったからだよ」って。まずはどんな形でもいいから会を立ち上げるように言われました。これがスタートです。

 

ー それから数年で、民主党政権時に父子家庭にも児童扶養手当が支給されるようになりました。

全国の父子家庭の人たちでメディアに顔を出したり政治家に要望したり、みんなが動きました。民主党の勉強会で父子家庭の問題を取り上げてもらったのがきっかけで、民主党のマニフェストにも児童扶養手当を父子家庭にも拡大することが載りました。

運動をやったことがなかったので、僕は「生活保護を受けていて子どもが白血病で〜」とか大変な要因がいっぱいある中で、「全部顔出し・実名公表でいいので、その代わりに児童扶養手当のことをメディアで取り上げてください」と書いたものを政治家の出ている報道番組などにとにかく送り続けていました。そこから報道してもらったり、政治家に繋いでもらったり。このとき思ったのは「ああ、日本人って優しいな」ということです。 僕は小学校3年生までしか学校に行っていません。だから法律を読み解くとか、要望書を書くとかも大変で、読めない漢字もたくさんあったんですが、みんな分からないことは教えてくれるんですよ。いっぱい蛍光マーカーを引いて、何回も繰り返し読んで、制度について勉強しました。

 

村上さんの今回のキャンペーンについては後半の記事へどうぞ)

Written by
Change.org
May 23, 2018 11:16 am