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【インタビュー掲載】社会は自分たちの力で変えられる。 市民がはじめの一歩踏み出すために。

「一日だけ、他の誰かの人生を」をテーマに、多彩な人々のライフストーリーをインタビュー記事で伝える “another life.”に、Change.orgのハリス鈴木絵美が取材されました。

ここに、許可をいただきインタビュー記事を全文掲載します。

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一般の人たちが「社会を変える一歩」を踏み出すためのキャンペーンサイト「Change.org」のアジアマネージングディレクターを務めるハリスさん。社会や政治に対して全く興味がなかったというハリスさんが、なぜ社会問題に関わる仕事をするようになったのでしょうか。お話を伺いました。

20170122153747_emmy_harisu良い大学に入り、良い会社に就職する

アメリカ人と日本人のハーフとして、東京で生まれました。小さい頃から、勉強も運動も「できること」が好きでした。できるようになって褒められるのが嬉しかったんだと思います。

中学の時に熱中したのはテニス。毎日4時間位練習していましたし、夏休みは家から1時間30分位かかるスクールまで通い、6時間くらいテニスをやってました。勉強も好きで、成績は常にトップ。各教科では一位ではないんですけど、全体の科目では一位を取るジェネラリストでしたね。常に何かに没頭していて、何もしない時間はなかったです。

幼い頃から、「良い大学に入ること」が絶対的な目標としてあったような気がします。成績がよかったら褒められてお小遣いがもらえたし、逆に点数が低いと「どうしたの?」と突っ込まれる感じ。両親はプレッシャーを与えていたわけではないと言いますが、私は勝手にプレッシャーを感じていました。ただ、勉強が好きだったのか、トップにいるのが気持ちよかったのかは分かりませんが、その状況は嫌ではなかったです。

ビジネスパーソンの父の影響もあり、将来は世界で活躍できるビジネスパーソンになりたいと思っていましたね。それで、高校卒業後は、アメリカの名門イエール大学に進学しました。

大学では勉強の他に、劇やミュージカルのプロデュースに没頭。プロデューサーという役割が面白かったんです。お金の管理もして、ちょっとクリエイティブな仕事もできて、チームもリードする。全体をまとめる役が面白かったんだと思います。

ただ、アメリカに来て最初の数ヶ月は居心地が良くなかったですね。「100%アメリカ人風に扱われること」への違和感があったのかもしれません。

私のアイデンティティは、日本人でもアメリカ人でもなく「日本人とアメリカ人のハーフ」なんですよね。日本にいた時も「日本語上手ですね」とか「お目々パッチリですね」とか、外見で判断されて疲れることはありました。でも、日本社会にどっぷり浸かり、日本社会の縛りにきっちり従いたいわけでもないので、ある意味では都合が良かったんです。100%日本人にはなれない分、ハーフという立場を確立していて。だから、100%アメリカ人として扱われることに居心地の悪さを感じたのかもしれません。

幸せになれない焦り

大学卒業後は、なんとなくコンサルティングファームに就職し、シアトルで働き始めました。将来のことは何も考えていませんでした。会社に入ってしまえば目先のプロジェクトのことで頭がいっぱいなので、不安を感じる暇すらありません。

実際、仕事は楽しかったんです。一緒に働く人も魅力的だし、大きな問題をどうやってブレイクダウンしていくのかを学ぶことも面白い。様々な組織が直面する問題を知れたり、分析の手法を学べたり、とにかくエキサイティングでした。

ただ、ハードワークだったのは事実です。長時間労働ですし、プレッシャーもものすごくて。時間や仕事をうまくコントロールできず、次第に体調を崩していきました。

最初は腱鞘炎。次は首。最終的には、飛行機に乗った時に腰を痛めて歩けなくなりました。3週間寝たきり。当然フルタイムでは働けません。

結構ショックでしたね。理想通りの人生を送っていたはずなのに、どうしちゃったんだろうって。

ただ、このまま働き続けるのはまずいと思いました。それまで、ワークライフバランスなんて一切考えませんでしたし、初めての仕事だからうまくやりたい、評価されたいという気持ちもあって仕事に没頭していましたが、やっぱり無理を感じていたんです。

うまくやれている同僚もいたので、会社が悪いとは全く思いませんし、私だってやろうと思えばうまくできないわけではありません。だけど、「私はそこまでして、一体何を押し殺して仕事を続けているんだろうか」と感じてしまったんです。それで、コンサルティングファームをやめることにしました。

ただ、次に何をしたらいいのか、本当に分かりませんでした。とにかく、これまでとは逆のことをすることにしました。逆というのは、周りの評価は一切気にせず、ただ自分が楽しいと思うことをやる、ということです。

それでニューヨークに移り、劇とフィルムの製作会社で、アシスタントプロデューサーとして働き始めました。それまでの人生で何が楽しかったのか思い起こした時、頭に浮かんだのが学生時代の劇のプロデューサーだったんです。

社会を変えられる実感

しかし、劇での仕事はすぐに合わないと感じました。アシスタントとして入ったので下積みは大変だし、人間関係のミスマッチもあって。そんな時、知り合いから、アメリカ大統領選挙のオバマ陣営のキャンペーンスタッフをやらないかと誘われたんです。

「暗い顔で仕事をするくらいなら、こっちに来て歴史を変えたらどうだ?」と、かっこいいことを言われて。最初はめんどくさそうだと思いました。それまで、政治とか選挙とかボランティアとか、全く興味がなかったので。でも、やったことがなかったので、一回くらいやってみてもいいかなと思い、参加することにしました。

私が入ったのは、電話勧誘スタッフのサポートチーム。本部から送られてくるリストとトークスクリプトをメンバーに配布したり、電話勧誘の体制を整える役割を担いました。単純作業ですけど、仕事がうまくいってなかった反動もあったのか、すごく楽しいと感じて。それから選挙が終わるまでの数ヶ月、続けることにしました。

実際にオバマ大統領が誕生したことは、とてもインパクトのあることでした。批判もあるとは思いますけど、あの投票日は間違いなくアメリカの歴史的な1日。それほど重要な瞬間に貢献できたのがすごく嬉しくて。こういう気持ちを自分の仕事でも経験できたら、それこそが幸せだと思いました。

また、選挙キャンペーンを通じて友達の幅が広がったのが、私の中ではとても大きいことでした。ボランティアに来ていてのは、デザイナーや教師など、関わったことがない仕事の人ばかりでしたし、中には生活に苦労しているような人もいました。それまで限られたコミュニティの中で生きてきた私にとって、そういう人と長い時間過ごしたのは人生で初めてでした。

一方で、多様な背景を持つ人との出会いは、自分に対する罪悪感を生みました。自分はいかに恵まれた環境で育てられたのか初めて気づいたと同時に、その環境をありがたいと思えていなかったことに対する後ろめたさを感じたんです。

私はそれまで「自分の力でホームランを打ったような気分」で生きていました。自分の力でイエール大学に入り、世界一のコンサルティングファームに入った。私には能力があって、しかも、みんなより頑張っているからここにきたんだぞ、みたいな。でも、そうじゃなかった。はじめから三塁に立たされていただけ。そういう感覚を覚えたんです。

社会問題と自分の繋がり

それからは、1年ほどは、仕事を転々としました。劇団を辞めてテレビ番組の製作会社に入ってみたり、ニューヨーク州政府の仕事をしてみたり。最終的に行き着いたのは、インターネットを通じて社会運動を立ち上げるスタートアップ企業でした。

人々のエンパワーメント、政治や選挙以外でも社会を変えるムーブメントを作っていこう、という会社。そこなら、大統領選挙で感じたような社会に貢献している感覚を持ちながら働けると思ったんです。

実際、仕事はとても楽しかったですね。ただ、気持ち的には落ち込んでいました。色々な社会問題を知れば知る程、自分は今までどうしてこんなことも知らなかったのかという気持ちになりましたし、世界に対して希望が持てないこともありました。普段の生活でも、問題ばかりが頭に浮かんで落ち込んでいました。

例えば、気候変動の問題に関わっていると、家族でハワイに行っても、サンゴ礁の問題ばかりが気になってしまいます。どこの海岸に行っても、温暖化によって真っ白にブリーチされたサンゴ礁が目に留まります。一方で、都市部では大量消費が行われていて、自分も飛行機に乗ってこの街にきている。大きな社会問題と自分の行動が繋がった時に、自分は加害者だと思い知らされるわけです。

自分の存在が何なのか分からなくて、どん底の気分。社会問題に初めて触れたことや、それまで正しいと思っていた価値観が崩れたことなど、多分、いろんなものが重なっていたんだと思います。

数年はそんな状態が続きましたが、自分のことを知ったり、セラピーに通ったりするうちに、悩みは少しずつなくなりました。完全に吹っ切れたのは、29歳の時に日本に戻ると決めたことだと思います。日本に戻ろうと思ったきっかけは、母との旅行でした。久しぶりに会った母は、昔と比べたらだだいぶ年を重ねた印象でした。その母の姿を見て、このまま家族を日本に残し、自分はアメリカで暮らし続けていいのだろうかと危機感を覚えたんです。

また、アメリカに来て10年ほど経ち、日本人の自分がどんどん消えていくことに喪失感もありました。日本語は話していないし、周りからはアメリカ人としてしか見られないので、元々あった日本人らしさが失われていくのを感じるんです。アメリカ人に近づくというよりは、両方持っていたアメリカ人と日本人の半分が薄くなって、幽霊になっちゃった感じです。100%の自分を活用できていない感覚がすごく悔しくて。

そんな時、「Change.org」が日本に進出すると聞きました。Change.orgは、誰でも署名キャンペーンを立ち上げられるサイトでした。「市民のエンパワーメントを通して自分たちがやりたい世界を作っていく」という点で、オバマのキャンペーンと根っこの部分はすごく似ていると感じました。正直、日本で署名キャンペーンなんて全然理解されないだろうとは思いましたが、一人ひとりがアクションするって、日本にこそ必要な文化だとも感じたので、日本版の立ち上げに参加することにしたんです。

自分の力を信じられる社会にしたい

最初の2年は、立ち上がるキャンペーンはすごく少なかったですね。「個人情報売買サイトだ」という誤解や批判も多くて、なかなか理解してもらえませんでした。とにかくいろんな人に会いに行き、キャンペーンを立ち上げてくれる人を探しました。

それから、次第に認知度は上がっていき、日本版を立ち上げて4年ほど経つ現在では、国内のべ160万人以上の方が何かしらのキャンペーンに参加してくれました。今は、Change.orgのアジア担当として、日本だけでなく4カ国を見ています。

私は、一つの社会問題にすごく思い入れがあるタイプではなく、どちらかというと、いろんな問題に関わっていたい人間です。そういう意味で、様々な人が自分の問題意識でキャンペーンを立ち上げるChange.orgは、私に合っていると感じます。

このサービスを通じて「自分で社会の問題を解決していく」という前のめりの人を増やしたいと考えています。会社のビジョンは「A world where no one is powerless」つまり、全ての人が自分の力を信じられる世界を作ることです。「何かに対して影響したいと思っていても何もできない状態」を完全になくし、自分の意見に価値があると信じて行動に移せる人、自分と社会の関係を理解して、みんなで団結すればなんでも変えられると自信を持てる人を増やしたいです。

何かの問題に対して少しずつ関わりを深めていくという点でいうと、日本で一番必要とされているのはスタートの部分ではないかと思います。署名すらしない人が多い社会の中で、いきなり何かの問題にどっぷり浸かるのは難しい。まずは多くの人が一歩を踏み出し、そこから進みたい人がどんどん前に出ていくということに意味があると感じています。

ユーザー主導のキャンペーンは難しさもありますが、一番重要なのは、みんなが社会に対して声を挙げられる状態で、ちゃんとその声が届く体制を整えることだと思います。逆に、いろんな決断に対して当事者の声がないのは、社会のあり方として問題だと思います。例えば、女性の問題に対して、女性がいない会議で政策が作られるのっておかしいじゃないですか。当事者と話しながら、当事者に影響を与える決断をしていくのは、民主主義の健全なあり方。これまでは代理民主主義で行っていたものを、テクノロジーが発展した今のこの世界なら、もっと直接的に関わるやり方があるんじゃないかなと思います。

現在の社会は、大企業や政府以外の声を反映しにくい仕組みになっていると思います。政治家や大企業で働く人はすごく頭がいいし、ばりばり働いていますが、全ての人の意見が分かるわけではありません。もちろん、悪意があるわけでもないと思います。権力側に立つ人も、社会を良くしたいという思いで動いているのは、みんなも変わらないと思うんですが、なかなかそこまで考えていられないだけ。

ただ、力がある人って、よほどのことがない限りその力を他の人には明渡さないというのは、歴史的にも明らかな事実。だから、健全なシステムを構築する上で、市民側もいろんなことを言わなくては、社会は絶対に良くならないと思います。相手の善意を信じて良くなると思っていても、それは「お任せ」しているだけであって、怠惰なことだと思うんです。自分で手を動かさないで、相手のせいにしているのは良くない。

もちろん、いろんな意見を聞くのに時間がかかりすぎて、意思決定しないのは良くないので、バランスが難しいところです。でも、本当にみんなのことを考えるはずの意思決定においては、お金と時間がない人の声をどれだけ反映させるのかってすごく大事だと思います。すでに偏ったメンバーで会議を行っているのだから、うまく組み込まないと偏った結論になってしまいますから。

だからこそ、Change.orgは、オープンなプラットフォームであり続けることが必要です。そこで、今後は世界中の一般市民の方に月額会員になっていただき、市民のサポートによって存続する状態を整えていくことになりました。市民に支えられ、市民にとって必要なプラットフォームを実現していきたいと考えています。

心から好きだと思える仕事を通じて、これからも社会に関わっていきたいですし、社会に貢献している実感を持てる人を増やしていきたいです。

ハリス 鈴木 絵美

米国人の父と日本人の母の間に生まれ、高校卒業まで日本で育つ。米イェール大学卒業後はマッキンゼー&カンパニー、オバマ氏の選挙キャンペーンスタッフ、ソーシャルインキュベーター企業 Purpose の立ち上げなどを経て、2012 年に Change.org の日本代表に就任とともに帰国。現在Change.orgアジアマネージングディレクターを務める。Change.orgが市民から直接の会費によって運営するビジネスモデルに転換したのに伴い、2017年より日本でもChange.org会員プログラムを根付かせるため奔走中。

Change.org会員プログラム

 

作成日:2017年01月22日

Written by
Change.org
2月 7, 2017 2:58 pm